従業員のウェルビーイング(幸福)の維持・向上のための取組みが、世界的に注目されています。米国で「3年以内に従業員の健康と幸福のための投資を増額する予定」だと答えた企業は、2015年の調査では38%でしたが、2018年の調査では81%と2倍以上の割合になりました。さらにCHO(チーフ・ハピネス・オフィサー)という従業員の幸福を維持・向上させるという目的に特化した役職を取入れる企業が世界的に増加し、従業員の身体的な健康だけでなく、精神的な幸福への投資が広がる流れがみられます。
2020年9月1日
「幸福度への企業の注目
こうした流れの中、日本でもCHOの役職を導入する企業が出始めており(※1)、今後従業員の精神的な幸福の維持・向上への注目は、さらに高まりをみせることが予想されます。
では、従業員の幸福度を高めることは企業の生産性の向上につながるのでしょうか?これまでの幸福度と生産性の相関関係を中心にした研究では、両者の間には正の相関関係が確認されてきました。参考に、図1のように、OECD諸国(※2)の幸福度と1時間あたりの労働生産性の関係をプロットしてみると、正の相関関係が確認できます。図の中で、赤点にあたるのが日本で、日本はOECD諸国の中では、幸福度も生産性も低い位置にあります。
- (※1)東京新聞2019年10月24日、(記事名:幸せ つながる働き方 渋谷の企業 担当役員を導入)
- (※2)OECDはOrganisation for Economic Co-operation and Developmentの略称で、日本語では経済協力開発機構。欧州諸国、米国、日本など37カ国の先進諸国によって構成されている。
- 注)相関係数は0.64。点線は回帰直線(単回帰)。
赤は日本、緑は北欧4カ国。黄はアイルランド、紫はルクセンブルク、黒は米国、ピンクは韓国。 - 資料)公益財団法人日本生産性本部 「労働生産性の国際比較 2019」; Helliwell J. F. et al.
2019 World Happiness Report. - 引用)岩ア敬子、基礎研レポート(2020年1月)「幸福度が高まると労働者の生産性は上がるのか?」
しかし、こうした相関関係の存在は、幸福度が生産性を高めるという因果関係を証明するものではありません。生産性の高まりが幸福度に影響を与えるという逆方向の影響や、その国の文化や慣習等の別の変数が生産性と幸福度の両方に影響を与えている可能性が考えられるからです。そして、この因果関係の不透明さは企業による従業員の幸福への投資を難しくする要因の1つであると考えられます。因果関係の検証を行うためには、実験等によって幸福度をランダムに人々に割当てて、その生産性への影響を計測する方法があります。現在私達が確認できる限りでは、こうした実験的なデータを用いて幸福度と生産性の因果関係の存在を確認した研究は世界で3つあります。次節ではこの3つの研究を簡単に紹介します。
幸福度と生産性の因果関係を確かめた研究
1.英国の大学生を対象に行われた実験(※3)
幸福度と生産性の因果関係を示した1つめの研究は、英国の大学生を対象に行われた実験室での実験です(※4)。
まず、実験参加者はランダムに「トリートメントグループ」と「コントロールグループ」という2つのグループに分けられ、「トリートメントグループ」の人は「お笑い動画」を見せられ、「コントロールグループ」の人には「感情に影響がなさそうな動画」が見せられるか、何の動画も見せられませんでした。その後、参加者は全員10分間足し算の問題を解きました。その結果、「お笑い動画」を見た学生の幸福度は高まり、さらにその他の学生よりも9-13%程度足し算の正答数が多かったことが確認されました。
2.日本で労働者を対象に行われたWEB実験(※5)
幸福度と生産性の因果関係を示した2つめの研究はひとつめの研究と同じ設計で、日本の労働者を対象としてWEB調査を用いて行われました。その結果、用意された「お笑い動画」を見てポジティブな感情が高まった人は全国で東京都の住民だけだったのですが、東京都の住民で「お笑い動画」を見た人は見ていない人に比べて、足し算の正答数が9-12%程度多かったことが確認されました(図2参照)。
- (※3)Oswald et al.(2015)
- (※4)この研究ではいくつかの実験が行われたのですが、ここではそのうちの1つを紹介しています。
- (※5)岩ア(2020)
- 注)90%信頼区間を表示。「お笑い動画」を見た人たち(トリートメントグループ)は、動画視聴後のポジティブな感情が高いことが確認される。また、このトリートメントグループはその後に行った足し算の正答数も多い。
- 引用)岩ア敬子、基礎研レポート(2020年1月)「幸福度が高まると労働者の生産性は上がるのか?」
3.英国の会社で行われた現実社会での準実験的研究
幸福度と生産性の因果関係を示した3つめの研究も英国で行われたものです。1つめの研究は大学生を対象とした実験室での実験でしたが、こちらの研究では、実際に英国のコールセンターで働く人の行動が分析されました。まず、彼らは幸福な時に不幸な時よりも13%生産性が高いという相関関係が確認されました。さらに、「天気の変化」という人ではコントロールできないけれど幸福度には影響を与える事象を用いて因果関係を検証し、1(とても不幸)〜5(とても幸福)で表される幸福度が1単位上がると生産性が24.5%程度上がるという幸福の生産性への影響を確認しました。
3つの研究はそれぞれ対象や研究方法が異なりますが、1つめと2つめの研究からは、短い「お笑い動画」の視聴程度の幸福感の増加では1割程度生産性が向上すると言えそうです。そして、3つめの研究からは、現実社会でも幸福感を高めることは生産性の向上に大きな影響があることが確認されました。しかし、2つめに紹介した実験で用意された「お笑い動画」を見てポジティブな感情が高まった人は全国で東京都の住民だけだったことにみられるように、どんな取組みがどの程度幸福度や生産性に影響するのかはまだまだ分かっていません。地域や文化によっても異なるでしょう。今後さらなる実証研究の積み重ねによって、企業による従業員の幸福への取組みが充実したものになっていくことが期待されます。
(ニッセイ基礎研究所 岩ア 敬子)
筆者紹介岩ア 敬子(いわさき けいこ)
株式会社ニッセイ基礎研究所、保険研究部 研究員
研究・専門分野:災害復興、金融・健康行動、メンタルヘルス、ソーシャル・キャピタル
- ▼ニッセイ基礎研究所ホームページ(岩ア研究員)
https://www.nli-research.co.jp/topics_detail2/id=58864?site=nli